大学生の時に空堀の路地や長屋のまちなみに魅かれて以来、少し足を延ばして銅座公園周辺のシャレたお店も覗くようになったのですが、 そんなシャレたお店の集まるエリアに生まれ育ちながら、僕らが気後れするような「都心っ子感」も出さずに、同じトーンでおしゃべりのできる友達がいます。
とはいえ、「生粋の都心っ子であるからには、郊外育ちの僕らとは違う、独特の住むまちとしての都心の使い方があるのだろう」と思い、訪れるまちだった谷町四~六丁目周辺を、彼女の「住む目線」で一緒に歩かせてもらいました。
→ミズホさんの日常記憶地図
→笹尾和宏さんの日常記憶地図 | blog
日時 | 11月2日(土) 11:30-15:00 |
旅行先 | 谷町四丁目~六丁目駅間(南大江小学校区) |
旅の費用 | ホットコーヒー350円 |
同行者 | ミズホ(案内人)、サトウアヤコ |
ミズホさんと待ち合わせて出発!
この交差点そばにあるマンションは、吉本芸人が借り継いでいる部屋があるらしい。売れて東京進出が決まると次の後輩に部屋を明けるということが代々続いている、いわば「ここに住む芸人は売れる」という出世部屋!
角地に長屋を改装したええ雰囲気のビストロを発見!こないだ(といっても結構前)通った時はなかったから新しいお店!柱梁の木の雰囲気にビストロって気持ちいい。そして空堀!今度はここで飲もう。この辻はなんかパワーのある辻やと思う。
向かいの建物はこれ。四つ角の全部の建物が辻に面しているところって珍しいような。
長堀通で、歩道のフチに街路樹のように緑を並べている箇所をいくつか発見。
こんなところにU社の別館が。ミズホさんが小学生の時、あるお菓子が発売される時に社員さんにサンプルをもらったら、次の日に「知らない人から食べ物をもらってはいけません」ってお触れが出たらしい。 あーもうこういうの都心っぽい!
小学生向けの値段設定がある。ミズホさんの小学校では、おしゃれに目覚めた同級生はこのドルフィンで美容室デビューをするのが定番やったとのこと。こんなところに南大江小のオシャレのメッカが。
上町台地のちょっとした起伏が見えました。
公園の入り口の町名表示を見て、こんな町名見たことないことに気づく。普段、「谷六」とか「空堀」とか「銅座公園らへん」とか、この辺の町名を意識してなかった。神崎町に和泉町に十二軒町に粉川町・・・何度もそこに足を踏み入れながらも、見たことない名前の町名がこんなに多いなんて。そら、小学校区の中にはいろんな町名があって当然やわな。
ここがミオくんの本拠地の公園だなと思いました。
ミズホさんもここでよく遊んだらしいです。
また歩道側の植物が!
建物の壁に沿わすタイプのものはよく見かけるけれど、この辺りに歩道側に置くパターンが多いと感じました。公共が意識されているように思います。
見たことないカフェを発見!休憩することに。洒落たカフェの値段が良心的(ブレンド380円)やとそれだけで嬉しい。
街路樹やマンション敷地内の木が立派なため、それを借景的に取り入れた全面窓ガラス。ご近所らしききちんとした格好のおばあさまが1人でコーヒー飲まれてました。
3人で改めて、この辺りが街中だね、と話をしました。
他の地域に行くようになり、自分の家の近くとの違いを意識するようになったのは高校ぐらいからとのこと。
ミズホさんの母校に到着。母校!母校に行くってドキドキする。「あぁミズホさんはホンマにこの町で育ったんやぁ」と改めて実感。
小学校の横、名前だけはよく聞く「太閤下水」を改めてきちんと見ました。
江戸時代から下水があって、そしてそれが今でも使われているなんてすごいことです。
「街だね-、すごいねー」と三人で感心。
南大江保育所の前に、南大江小学校跡地(1885-1970)の石碑が! 2012年で創立140周年記念とのこと…
保育所の裏は、高層ホテル&マンション。エントランス前には、10人ぐらいの小学生男子がDS持って遊んでました。
横断報道横の歩道橋は無用の長物ではなく、小学生の通学路としての大事な役割がある。同じような配置の歩道橋が天満橋の北側(これも谷町筋沿い!)にある。学校の先生から登下校の時には歩道橋を渡るように指導されていて、ちょっとヤンチャな児童は横断歩道を渡ってたらしい。
今日、銅座公園に集合するときにリクエストして路地に入って坂道を探しても、4つあるウチの2つしか見つからない。「残りの2つは谷町筋からは見えなくて、一回小路に入ったらありますよ」とミズホさん。えー!!要は、これらの階段は直接谷町筋につながらない、この街区の方々のためだけの階段。どおりで今まで谷六にある急な階段のマイリストに入ってこんかったんか。ここも生魂のお神輿が巡行すると。そらそうやと思いながらも「おぉー!」
道幅は狭くないけれど、住民しか通らないので静か、そして路地のような雰囲気です。谷町四丁目駅から谷町通りから入ってすぐにこんな空間があるなんて。
一つの小路ごとに一つの階段が必ずあって、ここが崖のような地形になっているからなのだけれど、向こう岸に渡るための橋のように思えてきました。
ミズホさんによれば、ここのどこかの階段の手すりのどちらかの側を通ると、夜中に骸骨になるという伝説を作り出した同級生がいるそうです。小学生は怖い話が好きだけれど自作とはレベル高い…。
法円坂の友達と遊んだ帰りは国立病院の敷地を通り抜けて帰っていたとのこと。都会のトトロやな!
遊んでいる途中で、病院の水飲み場で水分補給したこともあるとか。
ヨシノリさんの勤務先です。
銅座公園北側より。高低差があることもですが、お城のような石垣にちょっと驚きます。
通り沿いの脇道(路地)をいっぱい教えてもらう。「子供のとき良く通り抜けた」 とか「遊んだ、友達が住んでた」とか、幼少を過ごしてるミズホさんじゃないと見つけられないし入れそうにない路地だらけ。まさかこの辺にこんな色とりどりの路地(私道)があるとは。ヨソモノから見ると、路地は視覚的に空間が面白いけど、生活者にとっては意味のある道。
路地の入っても良さそうなところギリギリまで行って引き返す、という子どもの頃に戻ったような感じのスリルを味わいました。
記念碑築造の発起人の名前には松下幸之助、江崎利一、小林一三・・・関西の企業家の名前がずらり。「なんかでかい碑立ってるなぁ」としか思ってなかったから、こうも知ってる大阪の超有名人の名前を見るとこの記念碑が途端に身近に思えてくる。
子どもの頃市場があったという辺りを連れて行ってもらいました。広小路市場、と言うそうです。
それっぽい建物がありました。
回り込んでみましたが、外装からは市場だった様子がうかがえません…
配線や床や壁の様子から、お店があった跡を感じ取ることができました。
現在は某お掃除会社の駐車場となっているようです。
銅座公園に戻ってきて解散。改めて見ると、この公園の木々はとても立派です。
大学時代以降、「友達の育ったまち」と「僕の育ったまち」は違う場合がほとんどになっていて、
機会があって友達の実家に旅行がてら(友達からすると帰省ですが)連れてもらうことがあると、
僕にとっては「ヨソのまち」、友達にとっては「地元のまち」という認識のずれが 不思議な感覚(プライベートを覗いてちょっとドキドキする)を思い起こさせます。
今回の旅はまさにそんな感じでした。友達の地元に遊びに行ったような気分にスイッチしました。
新しく見つけたもの(4連の階段とか)も充分刺激的な上に、ミズホさんの地元エピソードが
重ねられることで起こる、新鮮な驚きがたまりませんでした。(笹尾)
銅座公園周辺は個人的にも好きな場所で、よく行くのですが、こうやって探検するような気持ちで歩いたのは初めてです。
以前聞いていたいろいろなエピソードと場所。一緒に歩いたことでそれが結びつき、あまり知らない難波宮跡周辺などは特に、私にとってミズホさんの場所として記憶されることになりました。
他の人の日常や記憶を通して街を歩く、という体験でした。(サトウ)